当時、25歳だった私はリーマン・ショック真っ只中のとき仙台で生活することになります。
というのも、アルバイトの求人雑誌から測量補助の仕事に応募したからです。
社長との面接はほぼない状態で明らかにブラック企業かと疑いましたが、
実際に仕事はあるようでした。しかし、当日から急に仙台へ行ってくれと言われ、
そこで、今も名前を覚えている3人の上司たちと出会い生活がスタートします。
はじめは、それぞれ先輩方は優しかったのですが、私が車が運転できないことや、
社会人の基礎ができていなかったため、日々怒鳴られ続ける毎日でした。
なぜ、測量だったのかというと、ほぼ字を書かない仕事だと思っていたからです。
(結果的には字を書く作業は必須でしたが)
そこで、本当に毎日が運動会かと思うほど厳しく激しく動き回っていました。
ただ、労働上のお給料の問題で主任が辞めてしまいました。
その主任はビジネスではこれ以上ない厳しく頭のいい人でしたが、
プライベートではとても優しい尊敬できる上司でした。
毎日、主任を含む計4人で食卓を囲んで夕食を食べるのが楽しみでした。
その頃、あまりの肉体労働に耐えられず、次々と人が辞めていきました。
特に私は力になりたくてもなれないという非常に辛い理由から、
逃げるように去っていきました。
10年前の主任の年齢が今の私の年齢と同じですが、
今、私が主任と同じ行動が取れるかといえば、それは無理だと思います。
会社には書痙やメンタル不調のことは事前に伝えませんでしたが、
それでも、私のことを育ててくれた社員さんたちに今でも感謝しています。