2016年8月15日月曜日

無理しなくていいんだよ~心の支え~


書痙になってから8年後の字の写真

上記は書痙の字を過去のノートから写真撮影したものです。

今はここまで歪な字ではありません。おそらくこの頃が書痙のピーク時だと思います。
書痙を患ってから13年ほど経過しました。過去のノートを見て振り返ると、

17歳:朝起きたら突然字が書きづらくなっており、明日になれば治るだろうと思い放置。
18歳:書痙が治らないため、将来のことを考え情報科のある大学でプログラミングを学ぶ。
19歳:C言語から始めるがプログラミングの理解に苦しむ。成績はかなり悪い。
20歳:HTMLだけでHPを自作してみる。この頃からキーボードで打つことに慣れる。
21歳:就職活動で内定を取れた会社を秋ごろに辞退。うつになる。体重も増える。
22歳:大学院で籍を残したまま、寝たきりの生活が続く。字が書けないことに強い不安。
23歳:自分が書痙だと認識し、内科、外科、大阪の診療所などで診察を受ける。
24歳:県内の病院で1年間鍼治療を続ける。記録をつけるも治らないことから治療を中止。
25歳:年齢を考えハローワークの斡旋で初めて就職を達成する。が、半年で退社。
26歳:転職し仙台で測量事業に携わるが半年で辞職。急激に体重が減り、再びうつになる。
27歳:電子書籍を扱う会社に契約社員として入るがすぐに退社。仕事が覚えられない為。
28歳:就労移行支援事業所に入所し様々な障害を抱える方たちと訓練を受ける。
29歳:書痙についてほぼ諦め、PC関連の作業で賃金を得られる仕事を見つける。
30歳:会社での実習を経て、障害を受け入れてくれる企業で内定を取り入社。
31歳:キーボード操作に書痙が転移。作業するも、新しい作業に慣れるのに時間がかかる。

おおよそ、このような流れです。(一部省略しています)
今は、キーボード操作でテンキーも使えなくなりましたが数字キーで打つ練習をしています。
仕事で障害を理由にしてはいけないと肝に命じていますが、辞めたいと思うときもあります。

今まさに辞めたいという気持ちが強くあります。
書痙の人が社会の中で生きるというのは、自分の中で少しハードルを下げて、
「無理しなくていいんだよ」という支えが必要なのかもしれません。

2016年8月12日金曜日

書痙に対して正しい理解を


上記は書痙になって7年目頃の文字の写真です。

このごろ書痙についてよく「震える」という表現を見かけますが、
私の場合は人差し指の突っ張り(つっぱり)が症状として現れます。

一度、大阪の医療センターで書痙や首のジストニアを患っている人を診察する機会が
あったため、高速バスを利用して日帰りで診て頂きました。
診察と鍼治療の施術の結果、治ることなくその後も1年くらい通ったのですが、
結果、治ることはありませんでした。

ただ、鍼治療や検査などを受けていた人を見ると、書痙の症状が私と全く同じでした。
この時、おそらく書痙という症状の人が集まった場所に初めて来ることが出来ました。
つまり、自分が書痙であるという確信が持てたのです。

その後、安心する一方で不安ながらも年齢の関係もあり就職しました。
遅い就職でしたが、その頃のメモが上記の写真です。
(アクセスアップとアクセス解析と書いてあります。仕事の内容とは無関係です)



プロパスという蛍光ペンで書いた文字です。(同時期頃)

こちらは、蛍光ペンの太字で書いたものですが、軽く負担が少なく私の持っている
ペンの中で唯一普通に書けるペンでした。これは本当に幸いでした。

この後も書痙の字がどのようなものか、字の写真を載せたいと思います。
今回の投稿の目的は、書痙という疾患を正しく知ってもらいたいということです。
また、近々更新したいと思います。宜しくお願い致します。

2016年5月4日水曜日

文字短縮化計画~書痙のための文字の策定~


上記の写真は2015年3月頃から改良を加えて自作した短縮化文字列です。

久しぶりの投稿になります。相変わらず私自身の書痙は治っていませんが、最近になって書痙が手術や治療で治った人達の報告が多く寄せられていてこのブログも潮時かなと思っています。

また、別の記事では音楽関連のジストニアに対して急激な成果を期待できる記載があり、
今後、PCや道具に頼らずともジストニア(書痙)が治ることが期待できる気がしています。

さて、そんな中、私は書痙とともにタイピングの操作が劣化していることに変わりないため、
新しい工夫を考えています。特に昨年の3月頃、入社が決まってからメモを取ることに抵抗があり、
ならばいっそ新しい文字を作ってしまえ。と考えました。

本来は上司に許可を取らなければならないのですが、許可を取る前に完全版にしたいと思い、
20回以上も考察を重ねて、マイ文字を改訂しました。とうとう実用化出来そうと判断したので、
2016年5月時点での文字列の写真をアップロードしました。

何が書いてあるのかわからないと思いますが、上から、

まいもじさくてい//
うつしてくれたなら
このむこうがわにいるよーなー
(以下省略)
と書いてあります。

この文字で字を書くと、書痙の人が苦手とする字の角度や字のなぞり方を軽減でき、
慣れてくると、言われた言葉のスピードと同じ速度でメモを取れます。
※書く際は0.7mmの水性ペンまたは油性ペンが最も好ましいです。

参考にした法則は、フリック入力とゴダンキーボード、韓国語、英語です。
改訂が終わり次第、実際の仕事でメモとして役に立つかどうかを検証したいと思います。

2016年1月30日土曜日

劣化していく右手~タイピングも危うい状態に~


上はクツワ社の右手用プニュグリップです。

今までは字がかけない状態でもタイピング(両手)が出来たので、データ入力や文章作成などの
仕事をしていました。ところが、昨年の2015年5月頃に右手人差し指がタイピングに支障をきたす
ことから、右手人差し指なしでタイピングをしていました。

更に悪いことに、2016年の年明け頃から単に右手人差し指だけが異常反応するため、
それを物理的に抑えなければならなくなり、試行錯誤した結果、写真にあるグリップを、
人差し指と中指の間に挟んでタイピングしています。(グリップは4色セットで100円でした)

そして、テンキーを打つときには、少しグリップを押し当てる位置を調節したり、
紙を扱う際には、右手親指と右手人差し指との間に挟んで異常反応を防いでいます。

このままでは、右手自体が何もできなくなってしまいそうな不安から、左手だけで入力可能な
デバイスを探していたのですが、なかなか思うようなものが見つかりません。

下記にある方が左手用補助デバイスとしてまとめていたものを記載します。
http://gong.gloomy.jp/txt/assistanttools.html

さすがに、左手だけでキーボードタッチと同じ効率は出せませんが、
いつか、片手だけで入力専用のデバイスが登場することを願います。

2015年12月6日日曜日

書痙に配慮したPCキーボードでの工夫


              私が普段使っているキーボード(SANWA SUPPLY社)


1年ほど前まで字がかけない代わりにキーボードを使って参りましたが、キーボード操作にも
書痙が転移してから、右手の人差し指で打鍵することができなくなってしまいました。

仕事にも当然差し支えるので、この時ばかりは非常に悩みました。
そこで、上司に相談すると、人差し指で打つキー(青色)を中指でカバーすればいいのでは?
と言われました。その頃は中指は本来ならばU,J,Mの3つのキーしか担当していないのに、
写真にある右側の緑色のキーを全て担当することになり不都合を感じました。

ところが、タイピングは若干ミスが多いものの、普段と変わらないタイピングが出来るように
なりました。とある上司からはつい最近、「私は左手でY,H,Nキーもカバーするけどね」
と言われ、やってみましたが、少し限界を感じました。

写真にある赤=小指、黄色=薬指、青=人差し指、緑=中指担当を意味しています。
また、左手でエンターキーやデリートキーが打てるよう、「KeySwap」というソフトを使っています。

キーボードの世界もジストニアがよく世間に知れ渡るようになってから、
だいぶ進化しているように思います。

2015年11月12日木曜日

Google Alertで嬉しいニュースが度々。

Googleの提供している無償のサービスでGoogleAlert(グーグルアラート)があります。
これは、登録したキーワードからGoogleが自動的にニュースを検索し通知してくれるものです。
こちらに「ジストニア」「書痙」をキーワードとして登録しているのですが、
このところ立て続けに「治った」という趣旨のニュースが飛び込んできます。
自分のことではないのですが、非常に嬉しいです。
下記は今朝届いたトピックです。

参照:ジストニア(3)手術、発症以前の腕取り戻す
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=126319

2015年10月24日土曜日

ジストニア書痙を患い続けて~12年間の振り返り~


書痙になってから12年後の文字の写真

■書痙になったときの話

私は、高校3年生の秋ごろに書痙にかかりました。
ある日の朝起きてから字を書いたら、今まで通りの字が書けなくなっていたのです。

これが明日には直るだろうと思っていたら、次の日も同じ状態でした。
いつまで経っても治らないことに気づき、様々な病院に駆け込んで治療を受けました。

結果として、原因不明、治療法なしという結論に至り、自分で必至になって調べました。
そこから得た言葉が「ジストニア」「書痙」という言葉でした。
病名を知った途端ひとまず安心したことを覚えています。


■そこから、12年後の今までを振り返ってみました。

その後、大学受験時にPCを扱う仕事に就くしかないと考え、
大学では情報科学を専攻しました。しかし、成績は全く振るいませんでした。

プログラミングができれば食べていける、そう信じて勉強しましたが、
結局資格だけ取得して、就職時には字がかけない不安と外部からのストレスで、
就職のチャンスを逃しました。

とにかく字が書けなければ仕事が出来ないと思い込んでいました。
24歳の頃に大阪で鍼の治療を受けたり、25歳で整体に通院したりしていました。

やがて25歳になって就職していないことに不安を感じた私は、
とにかく、どこでもいいから就職しようと決断し、ハローワークの紹介で就職しました。

職種はWebプログラマで当時は社長の隣の席で仕事をさせて頂きました。
良い環境でしたが、私が一向にPHPやObjective-Cといった仕事を覚えないことから、

半年で解雇されました。その後も、26歳でITを捨てて測量会社に勤めるも、
当時被災地だった仙台に派遣され、同じく半年で仕事を覚えられず退社しました。

ちょうどこの頃からこの書痙のブログを書き綴っています。

27歳でSOHO的なことを続けても生活していけないことに気づき、
再度プログラミングを学ぼうとしました。が、なかなか身につきませんでした。

そして28歳である会社様が私にチャンスを与えて下さいました。
「交通費だけ支払う代わりに、一週間だけ働いてみないか?」いうのです。
条件を承諾し、社長直々に喫茶店で待ち合わせて悩みを打ち明けました。

ところが、一週間の間にほとんど手付かずの状態で自分には向いていない。
そう信じた頃には、もう29で30歳手前となり本当に焦りました。

そこで、就職支援センターに1年間通いながら、書痙を理解して頂ける会社様に
雇って頂けました。今もその会社に勤務しています。職種はデータ入力です。

ちょうど30歳で仕事に就くことができた一方で、自由がなくなった感覚でした。
パソコンばかり操作していると字を書くことに欲求が生じることもしばしばありました。

今考えると、社長から頂いた言葉、そして「字が書けないから仕事ができない」という
安易な考えは単なる甘えに過ぎないと感じるようになりました。

今も右手人差し指を中指で代用して入力していますが、「書痙」に固執するよりも、
別の解決策を見つけて、目の前にある仕事に一生懸命取り組むことが重要だと思います。

ちなみに、長らくシャープペンを触っていないので、試しに書いてみると、
長々とは書けませんが、明らかに書痙で悩んでいた頃に比べると成長しています。

その写真をアップロードしたものがちょうど最初の写真になります。
こんな人生です。これからも程々に頑張りたいと思います。