2015年10月24日土曜日

ジストニア書痙を患い続けて~12年間の振り返り~


書痙になってから12年後の文字の写真

■書痙になったときの話

私は、高校3年生の秋ごろに書痙にかかりました。
ある日の朝起きてから字を書いたら、今まで通りの字が書けなくなっていたのです。

これが明日には直るだろうと思っていたら、次の日も同じ状態でした。
いつまで経っても治らないことに気づき、様々な病院に駆け込んで治療を受けました。

結果として、原因不明、治療法なしという結論に至り、自分で必至になって調べました。
そこから得た言葉が「ジストニア」「書痙」という言葉でした。
病名を知った途端ひとまず安心したことを覚えています。


■そこから、12年後の今までを振り返ってみました。

その後、大学受験時にPCを扱う仕事に就くしかないと考え、
大学では情報科学を専攻しました。しかし、成績は全く振るいませんでした。

プログラミングができれば食べていける、そう信じて勉強しましたが、
結局資格だけ取得して、就職時には字がかけない不安と外部からのストレスで、
就職のチャンスを逃しました。

とにかく字が書けなければ仕事が出来ないと思い込んでいました。
24歳の頃に大阪で鍼の治療を受けたり、25歳で整体に通院したりしていました。

やがて25歳になって就職していないことに不安を感じた私は、
とにかく、どこでもいいから就職しようと決断し、ハローワークの紹介で就職しました。

職種はWebプログラマで当時は社長の隣の席で仕事をさせて頂きました。
良い環境でしたが、私が一向にPHPやObjective-Cといった仕事を覚えないことから、

半年で解雇されました。その後も、26歳でITを捨てて測量会社に勤めるも、
当時被災地だった仙台に派遣され、同じく半年で仕事を覚えられず退社しました。

ちょうどこの頃からこの書痙のブログを書き綴っています。

27歳でSOHO的なことを続けても生活していけないことに気づき、
再度プログラミングを学ぼうとしました。が、なかなか身につきませんでした。

そして28歳である会社様が私にチャンスを与えて下さいました。
「交通費だけ支払う代わりに、一週間だけ働いてみないか?」いうのです。
条件を承諾し、社長直々に喫茶店で待ち合わせて悩みを打ち明けました。

ところが、一週間の間にほとんど手付かずの状態で自分には向いていない。
そう信じた頃には、もう29で30歳手前となり本当に焦りました。

そこで、就職支援センターに1年間通いながら、書痙を理解して頂ける会社様に
雇って頂けました。今もその会社に勤務しています。職種はデータ入力です。

ちょうど30歳で仕事に就くことができた一方で、自由がなくなった感覚でした。
パソコンばかり操作していると字を書くことに欲求が生じることもしばしばありました。

今考えると、社長から頂いた言葉、そして「字が書けないから仕事ができない」という
安易な考えは単なる甘えに過ぎないと感じるようになりました。

今も右手人差し指を中指で代用して入力していますが、「書痙」に固執するよりも、
別の解決策を見つけて、目の前にある仕事に一生懸命取り組むことが重要だと思います。

ちなみに、長らくシャープペンを触っていないので、試しに書いてみると、
長々とは書けませんが、明らかに書痙で悩んでいた頃に比べると成長しています。

その写真をアップロードしたものがちょうど最初の写真になります。
こんな人生です。これからも程々に頑張りたいと思います。